撮影:表恒匡
母子像
2025
インスタレーション(video 10分40秒、蝋燭、写真)・プロジェクター、母乳、パラフィンワックス、綿、ステンレス、印刷紙
映像:可変 蝋燭:約200×225×85mm 写真:728×515mm
見出し h1
本作品は、女性化するヒロシマ被害について考えます。広島では軍事都市から平和都市へと転換したことを示すために、女性が象徴として利用されたと言われています。
1955 年に原爆乙女と呼ばれる25 人の独身女性がアメリカへ渡り、ケロイド治療を受けるプロジェクトがありました。このプロジェクトは、当時日本とアメリカの両国で「友愛」や「架け橋」といったテーマで大きく報道されました。しかし、このプロジェクトは、1951 年の日米安全保障条約の調印に対して
日本国内での反発が続いていた時期に、両国の関係が深まることへの抵抗感を和らげたとも言われています。原爆被害者である若い女性を助けることで、加害のイメージを変えるために女性たちが利用されたのではないかとも考えられます。
広島の平和記念公園内に存在する慰霊碑や記念碑で人の形をしているものは11 体あり、その中で女性の形をモチーフとした彫刻作品は合計7 体あります。菊池一雄《原爆の子の像》、本郷新《嵐の中の母子像》などは、ヒロシマ被害の表象の女体化とも見えます。
戦後、日本は平和国家としての歩みを始めました。軍国主義から平和主義への急速な転換に伴い、軍国主義時代のイメージを覆い隠すために、戦闘的な男性像の対極として「純粋無垢な被害女性」や「子供を守る強い母」といったイメージが必要とされたのだと思います。
しかし、戦後80 年を迎えようとしている現在、そのような画一的な表現をもう一度見直す機会があっても良いと考えます。先にも述べた本郷新作の《嵐の中の母子像》は、平和記念資料館を望む景観の中心に位置し、平和のシンボルともなっています。この像は、嵐に立ち向かいながら幼子2 人を抱える勇敢
な若い母親の姿を表現しています。像の背後には噴水があり、水しぶきによって時折虹が現れるなど、非常にドラマチックな演出が施されており、平和記念資料館を訪れる人々の感情に深く訴えかける存在となっています。
この像は、戦後に広島市婦人会連合会(現広島市地域女性団体連絡協議会)が資金を募り、1960 年に設置された作品で、女性たちが自分たちの力で逆境を切り開いていきたいという希求がそこに現れていると感じます。しかし、被爆体験者にはそれぞれの苦しみがあり、その被害を勇敢な若い母親の姿だけに象徴させて良いのでしょうか。
そして女性を平和の象徴として扱うことは、平和そのものを考える上で改めなければならないとも考えます。なぜなら戦時中は女性も戦争を支えた加害者でもあり、母性が戦争にも利用されてきた背景があります。それにも関わらず、戦後に平和を唱うために女性像を用いるのは、軍事主義の一側面を忘却するこ
とに加担しているのではないでしょうか。そしてそのことは平和の在り方そのものの問題を解く鍵を見失うことになると考えます。
私は、平和のシンボルとなっている「嵐の中の母子像」を変容させることで、被爆女性たちが背負わされる「女性は母性本能がある、母は自分を犠牲にしても子を守るもの、愛するもの」などといった母性神話や、平和の表象=女性という図式を考え直す機会を作品を通して生み出したいと考えます。
平和の火について:蝋燭の作品に灯している火は、原爆の残り火です。福岡県八女市星野村出身の山本達雄氏が広島で叔父の行方を探す中、書店の地下壕でくすぶる火を見つけ、それを叔父の遺骨の代わりに持ち帰りました。彼は、その火を家の仏壇などに灯し23 年もの間絶やさず守り続けました。1968 年、星野村がこの火を全村民の平和への願いとして受け継ぎ、現在も星のふるさと公園平和の広場に建設された平和の塔で灯され続けています。
本作品では、八女市役所様のご協力のもと、その貴重な平和の火を採火させていただきました。私は、この原爆の残り火は、現代を生きる我々にとってヒロシマの凄惨な被害を白黒の写真や被爆者の口承などの記録以外で実感できる貴重な資料だと考えています。その火を使用させていただくことは、ヒロシマ
の表象や、口承のこれからの在り方を考える契機となることを願います。
ご協力:加納実紀代資料室サゴリさま・八女市役所さま
動画撮影、写真編集:Wataru SHINO




