幾度なく滅される人々

2019

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韓国南部に位置する陜川(ハプチョン)という場所は、いつからか「韓国のヒロシマ」と呼ばれるようになった。

日本統治時代、陜川の人々の多くは、同郷のつてをたどって広島に職を求めて家族と移り住み、1945年8月6日に原爆の被害にあったのだ。※

 

原爆の被害にあった朝鮮人の約9割が陜川出身者であり、命を取り留めた彼らの約半数以上は、日本敗戦後に母国へ帰国した。

 

私は、この夏に陜川の原爆被害者福祉会館で在韓被爆者の方々に直接お話を聞かせて頂く機会を得た。

 

19歳の時に爆心地から1.6キロの職場で被爆されたイ・スヨンさんは、全身に大きな怪我と火傷を負いながらも命からがら生き永らえた。

彼女の被爆体験は想像を絶するもので、19歳という人生の中で美しく楽しい時期に、体と心に大きな傷を負った事に、私は同じ女性として酷く心が痛んだ。

 

日本敗戦後、母国へ帰国した彼女たちに待ち受けていたのは、被爆者に対する偏見からの差別、日本国籍の消失により救済措置から外された為に治療が受けられない等の様々な苦しみであった。

「私は、あのまま日本に住んでいた方が良かったのではないかと考える時もあります。」と、スヨンさんは語る。

その言葉から、彼女たちが国籍の違いのために受けてきた差別や苦痛があった事を想像することができた。

 

平和教育を受けてきた広島出身である私ですら、在韓原爆被害者の苦悩を知らなかった事を残念に思うと共に、肉体的苦痛、差別等、様々な苦悩を抱えて来た彼女達に、再度”忘却”という暴力を振るってはならないと強く思った。


 

※戦争が激化すると、徴用や徴兵で陜川から広島に連れて来られた人々もいた。