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撮影:表恒匡

幾度なく滅される人

2019/2025

video10 分30 秒、写真・モニター、サイアノタイプインク、印刷紙、額 

映像:可変  写真:91×128mm

2014 年から日韓交流展に参加するようになり、それをきっかけに韓国各地を訪れ、リサーチを経て作品を制作・発表する機会が増えました。その中で訪れた陜川(ハプチョン)は、「韓国のヒロシマ」と呼ばれています。

1997 年には、被爆者の療養施設である陜川原爆被害者福祉会館が設立され、2017 年には福祉会館に隣接する敷地に「陜川原爆資料館」が開館しました。2024 年時点では福祉会館に約60 名の在韓被爆者が暮らしています。広島出身の私は平和教育を受け、ヒロシマをテーマに作品を制作しており、2019 年に同施設を訪れ、被爆者のイ・スヨン(吉田千代子:被爆当時の名前)さんから直接お話を伺いました。彼女は18 歳で被爆し、終戦後、陜川に帰郷しますが、さまざまな差別に直面しました。当時、広島で被爆したということは健康面で差別対象であったのです。被爆は感染する病気と誤解され、その風評被害によって被爆者を苦しめました。

彼女を在韓被爆経験者というだけでなく、複合差別を受けた被爆女性として焦点を当て、 作品を再構成しました。本作品では、スヨンさんのご協力のもと、彼女のお写真を撮影させていただきました。そのポートレートを印刷したものに、陽光に反応して青く変色するサイアノタイプインクを重ねて塗っています。

そして、2024 年8 月6 日8 時15 分、スヨンさんが79 年前に被爆した広島貯金支局跡にて、そのポートレートを露光させました。太陽光にさらされたポートレートは、徐々に黒く変化していきます。「原爆の熱線」を想起させるために、サイアノタイプインクの「太陽の光による感光」を利用しました。また、

写真作品はパスポートのようなデザインにすることで、スヨンさんが現在は韓国の国籍を持っていることを示し、戦後の日本国籍喪失により救済措置から外れた彼女の境遇を強調させています。

私は、彼女の娘・妻・母として立場が変わる中で立ち現れる数々の傷を可能な限り共有したいと考えます。もちろん原爆被害は老若男女に関わらず被害を受け、その被爆者それぞれに多くの苦しみをもたらしたことは事実であります。その上でこの作品は彼女自身が一人称視点で被害を語ることで、原爆による被害だけではなく、世の中の歪みがさらに被害を増幅させたことに気づかせるでしょう。作品を制作することで彼女の体験が歴史の一部として忘れ去られることのなよう、一緒に抵抗していきたいと思います。

※尚、本作品を展示する際は《イ・スヨン(吉田千代子:被爆当時の名前)様インタビュー全編》(video 48 分5 秒・モニター)も別室にて上映しています。

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